
どうも
TXQ FICTIONを今年絡み始めた男、ヤブキです
放送から3ヶ月ほど経ってしまいましたが、UFO山を見ました
賛否が分かれているという噂だけは聞いていましたが、蓋を開けてみれば個人的にどハマりする内容でした
アブダクション推論というフレーズから色々考えられたことと、死者への向き合い方に関してかなり思うところがあったというのが、面白かったと感じた大きなところです
ということで、雑ながら感想を書いていきます
アブダクション推論
前提の共有
ブログのタイトルにもつけたアブダクション推論ですが、みなさんご存知でしょうか僕は最近知りました
詳しくは調べてもらうのが確実ですが、ざっくり理解するなら、「ある観測事象Aがあった時、『Bが起こるとAになる』という規則から原因となったBを推測すること」みたいな感じかなと思います
これはぱっと見正しそうに見えますが、必ずしも正しくはありません
例えば、「雨が降ったから地面が濡れている」「地面が濡れている」から「雨が降った」とは断定できませんよね
「誰かが打ち水をした」とか、極端な話「地震で液状化現象が発生した」みたいなことだってあるかもしれません
アブダクション推論で出した結論は、論理的に飛躍があるものだと言えるかなーと思います
(僕は論理学を学んだことはないので、適当言ってたらすみません)
ともかく
UFO山第1回でも触れられた通り、オカルトでアブダクションといえばUFOによる連れ去り
オカルトの世界の根幹にあるとも言えるアブダクション推論をテーマに作品を作るとしたら、その主役にUFOはふさわしいのではないか?と思って色々と考えた結果を書き出していきます
作中で登場するアブダクション推論
アブダクション推論というワードが思い浮かんだのは、何も言葉遊びが楽しかったからだけではありません前述した通り、アブダクション推論は論理の飛躍が必要になる都合、一つの結果から複数の原因を導き出すことができます
UFO山の構成は、そうした複数の原因の中から、望ましい答えを探すような構成になっていたと思います
主題である蜂谷の遭難について、さまざまな可能性が指摘されました
蜂谷の映像について、過去の討論番組では
•宇宙人の仕業
•脳の錯覚
と、別の推論をした人がバトルしていました
本作のオチである蜂谷の動機についても
•UFOに誘われた
•『本物』になりたかった
•息子にUFOを見せるため
と、これまた対立する複数の推論が出てきます
これは、蜂谷についてだけではありません
自殺者についても
•UFOだ
•オーバードーズだ
と二つの意見が出てきましたし、旭山で不審な光が見えるという話についてはもっと多く
•UFOだ
•シロクマだ
•狐火だ
•自衛隊の飛行機や照明弾だ
と複数の推論が登場します
ここで気になったのは、「蜂谷の動機」以外の謎にはおそらく科学的に正しいであろう理由がちゃんと提示されていることでした
蜂谷が入れ替わっているという、息子の空の推測にすら、空自身が科学的な推測を述べています
モキュメンタリーとしてそれっぽい進行をしただけといえばそれまでですが、せっかくなので意味を見出したいところだなと思いました
アブダクション推論とオカルト
アブダクションとオカルト
UFO山の第3回で、オカルト研究家の比嘉光太郎さんが「オカルトの本質は飛躍と逸脱なので」と言っていましたいい台詞だし、まさにアブダクション推論の話でもあるなとも思いました
その人が持つバックボーンによって、同じ事象の見え方がこれだけ違っている
ことこそがオカルトの本質なのであり、UFO山ではそれを表現したんじゃないでしょうか
科学的に正しいであろう意見と対比させているのも面白いところで、これもあくまで「科学信仰」からくるオカルト的推論と言えるわけです
それを強調するかのように、UFO山第1回の討論番組の映像では「可能性はある」という言葉を連呼していました
文脈的にはUFOが原因であることの「可能性」を説いていたわけですが、この可能性を認めることは、逆説的に科学的説明が可能性の域を出ないことを意味していたとも思います
僕は現時点で、TXQ FICTIONの作品は「イシナガキクエを探しています」と「魔法少女山田」しか見ていません
この二作品は、どちらも真相を説明し切っておらず、見た人によって受け取り方が変わるのが面白いところだと思います
イシナガキクエは特に、儀式の詳細や、結局イシナガキクエとは何なのかすらわからず、そこに思いを馳せることが恐怖につながる構成だったとも感じます
少し脱線しますが、こういった作風が生み出す恐怖の本質は見ている人のアブダクション推論であり、イシナガキクエの正体を推測する説が人の数だけ増えていくことが、消せども消せども現れるイシナガキクエという呪いの正体だとも言える気がします
こうしたことから、UFO山はこれまでの作品をメタ的に描き直したものだと言えるかもしれません
オカルトの肯定
UFO山は何を描きたかったのか
ここまで話してきたことは、物語の内容とはあまり関係のない部分だなと思います制作経緯の予想に近くて、これではUFO山は他の作品を構成していたものの一つをネタバラシする、副読本的なモノにしかなりません
作品を通して描かれていたものは別にあり、それはオカルトの肯定だと僕は思いました
隙間の神とオカルトの救い
隙間の神という言葉があります科学の説明領域が増えるにつれ、神が存在できる領域は科学の説明領域のわずかな隙間にしかないこと、またはそこに神を見出すことをバカにするような言葉だと僕は認識しています
アブダクション推論の項目で一度整理した通り、UFO山では、シロクマ、集団自殺、蜂谷の死の全てに「科学的説明」がなされていました
実際見ている途中、科学的説明が出てきた段階で「そういうことね」と納得した方も多いのではないでしょうか
なんなら、「やっぱUFOを信じる奴は科学的素養のない人なんだなぁ」「隙間の神を見出してるだけだなぁ」みたいなことまで思っていたかもしれません
ですがこの作品の結末では、「UFOを信じていいかな」という気持ちになっている人も多いと思います
蜂谷とその息子の空が、UFOというオカルト、あるいは「隙間の神」と切り捨てられるような存在によって救われていて、それを否定する気には、少なくとも僕はなれませんでした
蜂谷は空の言葉を頼りに家族の再生を図り、空は離れ離れになった父が自分を想ってくれていた
このことを、オカルト無しに知ることはできたでしょうか
これは絶対にできません
ただの遭難事件がこれだけ注目されて情報が出てきているのは「UFO」というキャッチーなフレーズが人を惹きつけたからですし
何より全ての始まりは、おそらく飛行機であろう動く光を「UFOだ」と推論した空の発言から始まっているからです
そして、それとは関係なく蜂谷は離婚していたでしょうし、父子が離れ離れになったことにはオカルトは関係ありません
説教くさくならない範囲で、隙間の神ってバカにするモンじゃなくない?という提案をした作品だったのだろうと僕は感じました
UFOがなければ死ななくてもよかったじゃん
という点については、まあその通りなんですが、僕としてはこれで良かったんだろうと思います
栄田の人物像と勘違い
第4回で空が披露した蜂谷の死に関する推論は、動機に関してはかなり正解に近い気がしますただ結論に関してははっきり言って荒唐無稽で、仮に真相があるのだとしたら、おそらく間違っているだろうと思います
ディレクターの栄田が空から入れ替わりの可能性を問われた時、答えに窮したのはそのせいではないでしょうか
栄田というキャラクターは、第1回で放送された過去の討論番組の「オカルト話のネタにして死者を冒涜するようなことをするな」というセリフと向き合いながらこの番組を制作していたんじゃないでしょうか
大学生の自殺事件について追っていた時、何度も取材を断られていましたし、そんな時自分の行為が死者を冒涜するものだと一度くらいは考えてもおかしくないと思います
そして誤った抽象化をした結果、「オカルトは死者と遺族を冒涜した上に成り立つ悪趣味なものだ」と考えても
空は軽々しい気持ちで蜂谷の取材をしようと掛け合ってきたオカルトファンには取り合わないようにしていました
語り口も、これまでのオカルトファンより笑顔が多く、僕にはオカルト的な推論を小馬鹿にしながら楽しんでいる人のようにも映りました
この時点で栄田は、空はオカルトを信じておらず、父を冒涜する悪しき風潮だと思っていると勘違いしていたと思いました
そこで空の推論の本質を聞かされます
誰よりも父を尊重しているであろう空本人が、父の死にオカルト的な推論をしていた事実を前に、栄田は自分の正義が揺らぐような思いだったはずです
その後、空から蜂谷の動機についても明かされます
内容は至極真っ当で、オカルト的なフレーズこそ関わってはくるものの、納得のいくものでした
空の態度はオカルトを小馬鹿にするものではなく、父が連れてきてくれたオカルトの世界を楽しむ子供のそれだったことにここでようやく気づきます
オカルトは冒涜ではなく救いである
これは、UFOの存在に家族の再生を懸けた死者の蜂谷にとっても、父の幸せを願う遺族の空にとっても同じだった
これが今作のカタルシスであり、オカルト好きがオカルトに対して真摯に向き合った結論なのではないかと思いました
死者との向き合い方に関する私論
ここからは完全に私論ですですが、UFO山を見たファーストインプレッションがこれだったので、書くことにします
きっかけは自殺者に対する向き合い方について考えていたことです
今は死ぬことなんて全く考えず呑気に暮らしており、周りの人間もおおむね幸せに死んでいる僕がこんなことを偉そうに書くのは間違っているとも思うので、めちゃくちゃ回りくどい言い回しも多いですが
それでもいいよって人だけ読んでください
個人的に、自殺者に対して「自殺という選択肢は間違っていた」というよく聞くフレーズに違和感を感じています
当然ですが、自殺を肯定するわけではないと前置きしておきます
希死念慮に対する向き合い方は二つあると思います
一つは死ぬこと
一瞬の苦痛は伴いますが確実ですし、何より解決が早く、長く思い悩むことはありません
もう一つは希死念慮を解消する努力をすること
こちらは即効性がない上に解決する保証もなく、解決に向かっていく最中も苦しみ続ける選択肢になります
極端に抽象化すると、登山をするにあたってロッククライミングをするか登山コースをゆっくり登るかの違いでしかないなと思います
というか、僕はそんな感覚でいました
軽微なものとはいえ、僕も希死念慮を抱いたことのある人間なので
ロッククライミングは落ちた時のリスク(自殺に失敗した時の後遺症)に見合わないし、死ぬ苦しみが怖いから僕はそっちの選択肢は取れないと思っていましたが…
ともかくこのリスクリターンの天秤が壊れる程度に追い詰められた人に正しい選択をしろというのは酷だし、あまり当事者以外が責めるのもなぁという気持ちがあります
それを言うと、それこそ本当に誰かが死んでしまって当事者になったことがない僕があーだこーだ言うこと自体がおかしいんですが
さておき、あくまで自分が当事者となった時のための思考実験として続けると
当然遺族の方がそれでも生きて欲しかったと思うのは当然だし、間違った選択肢であることを世の中の暗黙の了解としておくことは非常に大事だと思います
ただ、やはり死んだ人が「選択を誤った弱い人」になってしまうのが、どうしてもモヤモヤするところです
今の自分の辛さを死んだ人のせいにして、その人を死んだ上に辱めるようなことをしていいんだろうか、と
ましてや、そこまで関係の深くない人間や、救える立場から何もしなかった人が言っていたとしたら最悪ですね
実際は誰にもそんなつもりはない、ということが多いとは思いますが、実際自殺は弱い人がするものという空気感を感じることはよくあります
UFO山を見た時にまず感じたのは、このモヤモヤに対する一つの答えでした
蜂谷の死は、自殺同然の行動だと作中で言われていました
蜂谷の知人も、その行いを愚かなことだと否定するような言い方をしていたと思います
ですが、空は父のことを誇らしげに語っていたように感じます
「UFOなんて見せてくれなくて良かったから、たまにでいいからまた一緒に星を見たかった」などとは口にもせず、楽しそうに栄田に自論を語っていましたし、最後には自分と父の思い出の映像を提供すらしています
事実として空は父の死をきっかけにオカルトの世界へ入って行ったので、ある意味で「UFOを見せてやる」という約束を果たした父を誇らしく思っているんでしょう
僕はこの空の父との向き合い方に、自分のモヤモヤを払拭する一つの方法を提示されたような気がして感動していたと思います
死を否定するより、生き方を肯定するような語りは聞いていても気持ちいいです
構造として異なるのは、わかりやすく蜂谷を追い込んだ悪人がいないことだとは思います
なので、よくあるいじめやパワハラによる自殺と比べて、空の語り口が正解とはもちろん言い難いとは思っていること
そして、あくまで結論の出ていない個人の考えをつらつらと書き出してみただけの内容であることを最後に言い訳しておきます
後書き
以上、UFO山を見て思ったことまとめでしたおまけですが、最近仏教における「空」という概念をちょっとだけ学びました
ざっくりした理解ですが、全ての物事には不変の本質はなく、相互に関係しあうことで変化していくという感じのことだと思います
つまり、関係しあうABのいずれか一方が変わると、もう一方も変化するのだというイメージで解釈しています
UFO山で描かれたアブダクション推論は似たような関係があって
科学信奉者や地域の事情を知った人は科学的な原因を見るし、オカルト好きは物事の影にUFOを見る
蜂谷との関係が友人か親族かで、蜂谷という人間の見え方も全く違う(本物になりたいだけの偽物か、子を想う父か)
「空」というネーミングは、流石にここまで意図していないと思いますが、なかなかドンピシャな概念が出てくるもんだなぁと思ったりしていました
そんな感じで、僕の視点から見たUFO山の感想は終わります
ではまた
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