最近考えを改めまして、人に見せるレベルか怪しい感想も、備忘録的にブログに書くことにしようかと思いました(今回は書いてるうちに筆が乗ってきたので割と長め)
まとまってなかったり、確証が薄かったり、毒にも薬にもならなかったりするかもと保険をかけておきます
このシリーズをどの頻度でやるかは不明ですが、初回はNarcissu(ナルキッソス)です
Steamで無料なのありがたすぎますね
ちなみに1作目しかやってません
当然ネタバレあります
感想
面白かった短くて綺麗にまとまってたし、そもそもこういう雰囲気(退廃的というか、世界の色素が薄いというか)の作品が好きでした
こういう雰囲気の作品って序盤に衝撃の展開とか持ってきずらいから、最近の作品ではありえないよなーと思います
作品が溢れかえっていて選んでもらうのが難しい今よりも、視聴者を掴むフックがいらなくて、雰囲気を作りやすかった時代なのかも(偏見だけど、オタク側のメンタル的にもオタクならこの作品をやるべしみたいな精神が今より強そう)
良し悪しありますけどね
話としても、何気ない会話の中でセツミがそっけない反応をしていたことがナルキッソスとエコーの話で納得できたし、そこからの流れはずっと面白かったです
あと雰囲気や設定も助けてか、半分の月がのぼる空を思い出した
短命ヒロインもそうだし、多少悪いことしようぜってノリも近いものを感じた
関東〜淡路島のルートは、関西人としてはかなり馴染み深いルートだったのも楽しかった
親と主人公の関係について
確証バイアスがバリバリにかかった考察です主人公の視点についてはずっと疑問がありました
まだ主人公が現実で考えるとまだ若い20歳前後であることや、親の言動は口数が少ないだけで本当に主人公を煙たがっていたり、息子として愛していなかったかはまだ疑えるのでは?と思いました
覚えてる範囲の出来事をベースに一つ一つ言い訳していきます
免許をとった時のリアクション
「そうか」と一言そしてクーペを運転したいと言って「駄目だ」とまた一言
息子との接し方がわからない不器用な父親ならこんなもんじゃないですか?
クーペの当時の相場は知りませんが、良い車だったなら初心者マーク付きの息子に走らせたくはないのでは
お見舞いのメロン
主人公が嫌いなメロンは親の無関心の象徴かのように見えていましたけど、本当に無関心なら何も贈らないか、もっと安い果物を選んでもいいはずです
闘病中の主人公に対して、たまにしか買えない高い果物を贈りたいのは親心に見えるような
もちろん家が金持ちだったり体裁を気にする親だったりしたら主人公の見方が正しいんですが、少なくとも体裁については以下のことから否定できそうです
医者と保険の話しをする父
医者と父の会話はなにやら保険という言葉が聞こえてきて、悲しそうな目をしていなかったとだけありましたが「息子が死んだら生命保険がいくらもらえるのか?」という話をしていたふうに聞こえますよね
けど、仮に世間体を気にしてメロンを贈るような親だった場合、こんな話をして、そこまでして取り繕った体裁が疑われるようなことをするでしょうか
思うに、メロンが嫌いなことすらわからなかった父が息子にしてやれることを考えた時、息子がやりたいことを一つだけ知っていることに気づいたのではないでしょうか?
なので医者との相談内容は「息子に車を運転させてやりたい。その許可をもらえないだろうか?」だったのではないでしょうか
保険の話は生命保険ではなく自動車保険のことで、「許可がもらえない?もう自動車保険だって入ったんですよ。そこをなんとか」といった具合なのでは
まあこの後親は出てこないしストーリーラインに関係ないので、だとしたらなんだって話なんですけど
主人公にとって世の中が嫌なものに見えてるのは、ヒロインの自殺を肯定する人間性に説得力を持たせるために必要な描写だったとは思いますし、見方を少し変えるだけで世界は優しいものに映るというのはこの作品に込められた唯一の自殺批判なのかもしれません
自殺を肯定的に描くことについて(7割自分語り)
以下センシティブなので、言い訳の多いくどめの文章になります自殺しようって考えたことありますか?
僕はあるんですが、流石に実行に移す勇気はないのでとりあえず生きてます(あんま重い話じゃなく、働くのとか人間関係とかだるくて、死んだらなんもないし楽やろな〜という程度の考えで自殺について調べるのってあるあるですよね…?)
だからこそ自殺に踏み切った人の置かれた立場って想像を絶するものがあるのだろうと思います
なので、よく聞く「自殺という判断だけは間違ってた」というフレーズは、なんだか安全圏から相手の立場も考えずに決断を否定してる感じがして違和感を感じます
もちろん遺された側の立場になったらまた考え方は違うとは思いますし、そもそも自殺を推奨するのはやばいので、後に続く人を減らすためにこう言う意味はあるとは思いますが、その上で、少しだけ、引っかかるところがあるなと
と、そんなところをきっかけに
自殺という行為そのものを肯定的に描く作品ってあっても良いのかな〜と思ってた時期がありました
ただ、僕も自殺を推奨したいわけではないので、上記の思い自体はあくまできっかけとして、なんか珍しい内容の話書けないかなーとか思ってました
結果的に、僕には遺された側が自殺した側に対して「生きてる価値がない世界」の一部として否定されたことを指摘するような、残された側に対する批判の話しか思いつかず没にしました
当事者でもない人間が説教臭いものを描くのもやばすぎますしね
何よりこの時点で、(自分でも気づいてなかったですが)僕は本来自殺する側の意思を尊重したかったはずなのに、自殺した人間を非難することを批判する方向に迷走してるのがよくなかった
そんな感じでNarcissuをやったわけですが
そういう説教くささは一切なく、さらに心を抉る読後感には衝撃を受けました
自殺を肯定する意図で描かれたものじゃないのは重々承知ですが、多分あの話を見て自殺という判断を批判する人はあまりいないと思います(どうせ病気で死ぬのもありますが)
それでいて心を抉るのは、自殺は良くないという良識と、この作品を追って自殺に踏み切ったキャラに感情移入して得た感覚の矛盾からなのかなと
その上で前の項目で書いた自殺者志願者に対する可能性の提示(これはぼくの考察というか妄想ですが)もあり…
こういうやり方をするのか〜と感心しまくりました
後書き
こういうセンシティブな感想は、誰でも簡単に読めてしまうX(旧Twitter)に投稿しようもんなら、文字数制限も相まって正しく意図が伝わらず炎上するリスクがそれなりにあるので、ある程度読む人間を絞れるブログはやってて良かったなと思います(僕の周りにはまともな人が多いので万に一つくらいしか拡散されて燃えることはなさそうですけど)これよりももっと雑魚いレベルの記事もたまには書いていこうと思うので、また興味がある作品や内容に僕が触れてたら、その時はよろしくお願いします
ではまた次の機会に
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