ヤブキモオタ日記

ヤブキのオタク趣味日記 ジャンプメインで、たまに映画やアニメ、読んだ漫画の感想を書きます

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久しぶりに映画の感想を書きます
ヤブキです

これを書いているちょうど1週間前に、「この世界の(さらにいくつもの)片隅に」を見てきました
僕がこの作品を見るのは3回目です
厳密には、2時間版を2回、追加版を1回見ています

2016年の末に放映された「この世界の片隅に」は「2時間版」
今回放映された「この世界の(さらにいくつもの)片隅に」が、2時間版ではカットされたシーンを追加した「追加版」です

追加版を見にいくときは、正直かなり迷いました
ここのところやりたいことが多く、30分の追加シーンのために、一度見た映画を2時間もみるのはいかがなものかと思ったからです

もちろん杞憂だったわけですが

映画が始まるとすぐさま、「すずさんたちがいた広島」に連れて行かれてしまい、2時間40分の間、一度も集中を切らすことなく気がつけば映画が終わっていました

初めてこの映画を見たときはブログなどやっておらず、一緒に観に行った友人ともロクな言葉を交わすこともできず(僕を含めた全員が感動を適切に言葉にすることができなかった)と3年間燻りっぱなしだった思いを、今日は書いていこうと思います

まずはネタバレなしの感想を
その後好きなシーンを何個か語ってから、追加シーンについて話そうと思います

感想(ネタバレなし)

まずはネタバレになる要素を避けて感想を書きます
あらすじ程度の軽微なものはご容赦を

あらすじ

「この世界の片隅に」は、第二次世界大戦当時の広島に住む少女、すずさんと、彼女が関わる人々の物語です

戦時中の話と言われると、小学校の戦争教育で見たような説教じみた作品なのかな?と身構えてしまいます
が、見ているとわかってくるのは、この物語は戦争が悪いみたいな、そんな教訓めいたものではありません
どんな環境下でも生きることができる人間の強さを描いた作品なのかなと思いました

生きていくためには仕方ないと割り切らないといけないことがたくさんあります
居場所が見つからなくて、仕方なくここにいて、仕方なくやりたくないことをしているなんてことはザラです
僕も社畜なんかさっさと辞めてやりたいですしね
とはいえすずさんの生きる時代は社畜云々が可愛く見える時代です
そんな世界の片隅に自分の居場所を見つけて、ただ生きて、時に笑えたらそれは幸せだよと、そんなことを描いた物語なのかなと感じました


作品の魅力の秘密

この作品の驚くべきところは、視聴を終えた後に、「すずさんはフィクションの存在なんだよ」と言われるとハッとしてしまうことです

実際、キャラクターデザインの松原秀典さんは、パンフレットで「この作品では、すずさんたちを「その場に実在した人」として描いています」と語っています
見事に成功していますね

前書きでも話したように、この映画は追加版だと2時間40分あるわけですが、この長い時間を一気に見せられてしまう理由は、「すずさんはあの時広島にいたんだ」と信じさせる、この映画の作りに他ならないと思います

何故そうなっているのかを説明するのはとても難しいんですが、物語として一番貢献している要素は、劇的でないストーリーだと思います
もちろん、後半になるにつれて劇的なシーンは増えてくるのですが、物語の大半はさりげない日常からクスッと笑えるシーンを切り抜いたと言った感じです
この連続を見ているうちに、すずさんが生きていたことを信じてしまいます

他にも、これを助ける要素がたくさんあります
監督のインタビューを見ていると、何度も広島に足を運んだようで、当時の広島の徹底再現にこだわっていたようです

また、メインキャラクターに本職声優さんがあまりいないのが良いのかなと思いました
アニメ声優の演技は花があるなと思います(普段アニメでよく聞く声というのもあってでしょうか)
対して、俳優がゲスト声優で使われた時って、事前にそれを知らなくても結構目立つのは、良くも悪くもアニメらしい花がないからかなと思うんですが、今回はそれが良い方に働いてたのかなと感じました
よく言われるのは、主人公のすずさんを演じるのんの演技ですが、径子役の尾野真千子さんの演技も最高だったなと思います

もちろんアニメ声優の人たちの演技も良かったです
花の部分を押さえての演技もできるのはさすがと言ったところ
一番びっくりしたのは北條サン役の新谷真弓さんです
後で知って目と耳を疑いました
キルラキルの蛇崩乃音とかのイメージが強かったので、なんであんな自然に馴染んでるのか理解不能でした
よくよく考えてみればドラマとかに出演してた人ですもんね


話が逸れましたが
これらのすべての要素が、すずさんを1945年の広島の片隅にあらしめてたんだなと感じます
その存在感があってこそ、長い時間のこの映画を飽きることなく視聴者に魅せてしまうのでしょう





まずはネタバレなしとは言いましたが、正直何を話そうと見たときの楽しみを損なうものではないなというのが本音です
まだ見てない方は是非、すずさんが生きた時代の追憶を劇場で

一度二時間版を見た人にも、追加版を見に行って欲しいです
監督が語っていた言葉を借りるなら、「この世界の片隅に」には二つの縦軸があります
一つは二時間版で描き切っていて、もう一つを削ったからこそ描いた一つが際立つ素晴らしい映画になっていたんですが
追加シーン30分でもう一つの軸を描くことで、既存の2時間の意味も激変します
同じシーンが同じシーンではなくなるのです
前書きで語った通り、新規カットのためだけに三時間弱は…と思っていたのがバカらしくなってしまうくらい楽しめたので、追加版を見てない方も是非もう一度劇場へ


では、以降ネタバレを含む感想になりますのでご注意を

追加シーンについて

白木リンと周作、そしてすずさんについて

30分で新たに描かれたシーンは、主に白木リンの話でした
たしかに、周作が取り出した端の切れた手帳や、妊娠疑惑が出たときのエピソードの妙なテンポの良さとか、不思議な点がすべて回収されました

何より1番の感動は、哲が北條家に来たとき、すずさんが想いを吐露するシーン、それ以降です
全く意味が変わってきます

すずさんが周作に怒りをぶつける理由は、以前の作品を見ているだけだと、無理に嫁にこさせた後ろめたさから、哲とすずさんを同衾させようとしたことでした
しかし、追加シーンで、リンと周作の関係が分かったことですずさんの心のうちにはもっと複雑なものがあったことがわかります


リンの追加シーンは、新しく描かれたものの、多くを語らない話ではありました
あくまですずさん目線で話が進むためか、リンと周作の中でどういった折り合いがついたのかは不思議なまま

花見のシーンですれ違いざま、足も止めずに挨拶だけして終わり
リンが「久しぶり」と言ったわけですし、お互いに認識してないということはないでしょう
周作も気付いていないのなら、「久しぶり」に反応しそうなもんですし
周作は、あの場からリンを救い出そうとしていたことをリンには話してないのかもしれませんね

思えばすずさんが北條の家に来た日、周作が料理を口にしなかったのは、まだリンのことが気にかかってたからなのかな?とか、リンとの関係が明らかになるだけで色々と考えが捗るシーンが多数あり、前述した通り、ほんとに30分の追加で残りの2時間10分までもが変わってしまう、そんな話でした

追加シーンの雰囲気

追加シーンは、かなり会話のテンポがスローでした
明らかに既存の2時間とは違う演出意図があるなと感じた方も少なくないと思います

パンフレットで監督が語るには、リンが住む世界は、今まで描いていたものとははっきりと異なるものです
戦時中に誰もが体験した日常ではなく、非常な時代の、さらに特殊な環境下に置かれた人々の話
つまりリンやテルちゃんの話です

テルちゃんについても深くは語られなかったものの、のちに失うすずさんの右手に、また一つ思い出を作ったキャラクターでした
方言が九州っぽい感じ(監督によると福岡付近にしか存在しない方言の混ざり方らしい)で、そんな彼女がなぜ広島にいるのかとか、読み込みがいのあるキャラクターですね

さておき、あの特殊な空間を日常から切り離すために、会話のテンポなどの雰囲気をわざと変えたらしいです


会話の雰囲気についてはおそらくもう一つ意味があるのかなと思いました
すずさんは北條家で居場所がないと感じている様子が度々見て取れます
その一つが子供ができないことです

そんな中リンに会いに行ったのは、リンは呉に来てからできた唯一の友達だからでしょう
家族というしがらみに囚われず、素の自分でいられる場所
周作との話はあれど、やはりすずさんにとってはリンと話すのは特別な時間で、映画ののんびりとした間のような、ふわふわとした雰囲気を感じていたのかなと思いました


2時間版でリンとのシーンを削った英断

もし、自分が「この世界の片隅に」の映画を作ることになったら、どういう構成にするか考えてください
リンのシーンを削れますか?

僕なら削れません
絶対日常パートを削ります
料理のとことか

なぜなら、リンとの物語は、「この世界の片隅に」におけるドラマチックな数少ない要素であり、ならばこれをメインで見せたいと考えると思うからです

ですが、片渕監督は日常パートを残して2時間版を作りました
これがすごい

繰り返すようですが、誰の感想を聞いても、もちろん僕本人の感想としても、この映画の魅力は「すずさんたちが実在したと思えること」です
これは間違いなく、彼女たちの日常を丁寧に描き切ったからです

径子の軸とリンの軸、両方を描くのではなく、片方に絞って丁寧に描く
この選択こそ、2時間版が大ヒットした秘訣に他ならないと思います


それと、面白いなと思ったのは、今回追加されたシーンが「心のうちにしまった秘密」の話だったことです
追加シーンが描かれなければ、リンと周作の関係や、すずさんの気持ちは誰にも語られない秘密になっていたんですね
現実が物語とリンクしてるのが良いなただ思いました

原作を読めば…とか、そういうのは言いっこなしです

そのほかの追加シーン

哲の初登場や、原爆の後のシーンも結構追加されてました
青葉に乗った哲のその後は、歴史や軍艦に詳しい人なら察しがつくものではありますが、作中でも少し触れられるようになりましたし
何よりあの話は、時代が移り変わろうと変わらず強く生きる人々を描いた話だと思うので、一度燃え尽きた街で、明日を生きる闘いを続けて、笑って暮らすすずさんたちの姿が少しでも多く見られるのなら、それだけで行く価値があるなと感じます

個人的には台風で家が大惨事!って回が特に好きでした
戦争は終わっても北條家に危機は続く
戦争はたしかに大変なものではあるし、二度とあってはならない事なんだけど、そうではなくて、家というミニマムな世界では空襲も台風も変わらない、そういうところがすごく良かった

やっぱりこの作品の軸は戦争の悲劇にないんだという再確認にもなるシーンでした




感想(好きなシーンについて)

ここからは、これまでの感想で語りきれなかった好きなシーン2つについて語ります

すずさん間諜事件

戦争が続き、配給も減り、人も死に
現実の過酷さが増していき、サンが「みんな笑って暮らせればいいのにね」と漏らしたある日、すずさんが海と軍艦の絵を描いているところを憲兵に捕まってしまいます
定時までお説教されたのちことなきを得ます(定退するとこも好き)

説教中、径子とサンが複雑な顔をするもんですから何かと思えば、間の抜けたすずさんが間諜行為をしてたのじゃないかと真剣に疑う憲兵が面白くてしょうがないというオチに

戦時中って、軍隊には頭が上がらない感じなんだと勝手に想像してたんですが、そうだよなと
面白ければ笑いのタネになるよなと気づける回でした

この回の、現代との地続き感がすごく良くないですか?
戦争モノって、僕達のような戦争を知らない世代にとってはファンタジーで、100年も経たない過去の日本の話だなんて思えないんですよね
それが今とも通じる笑いがあったんだなと思えて、より「この世界の片隅に」の世界に入り込めらようになったと感じられるエピソードでした

玉音放送とすずさんの感情の爆発

戦争は悪いもの
誰も望んでいなかった

こういった教育をされてきたものですから、すずさんが「最後の1人になるまで戦うんじゃなかったのか!」と叫ぶシーンはショッキングでした
終戦を知った人のリアクションって、戦争で失った人を偲んで泣く(径子はそうでしたね)とか、呆然とするだとか、そういうもののイメージが強かったので、「そうか、戦争を言い訳にできたからたくさんのことを我慢できた人もいるんだな」と気付かされました




語りたいシーンといえば、他にもバケモンの話とか、突如絵のタッチがすずさんの絵っぽくなる演出とかいろいろありますが、僕がそこまで意図を拾えてないのでパスします
誰か教えてください

おわり

というわけで、3年間貯め込んでいた感想を書き連ねました
今年になってから、「この世界の片隅に」について、監督のインタビューや、岡田斗司夫の解説動画などをみたりしました
どれを見てもすごいのは、僕が映画を見て感じた感情の説明されてしまうことと、それら全てが監督の掌の上だったということです

一つ一つのシーンがすごくさりげないのに、見れば見るだけ、語れば語るだけ面白い作品に出会ったのは本当に初めてです

この作品については、まだまだ語れる要素がたくさんあると思いますが、僕の感性ではこれ以上を語るのは困難なので、今回はこの辺りで

ではまた!
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